戦前より、この美しい海岸線の国立公園指定を目指した運動が、陸中海岸の宮古市を中心に起こりましたが、 戦争により中断してしまいます。 戦中戦後を経て昭和30年5月2日、ようやく運動の成果が実り、「陸中海岸国立公園」と命名されました。
現在、指定地域は岩手県久慈市~宮城県気仙沼市へと拡大され、陸奥、陸中、陸前の三陸に及んでいますが、 公園名称は、当初運動を始めた地域である「陸中」をあてています。
【三陸海岸】
古来、「陸奥国(むつのくに)」、または「奥州」と呼ばれた、南は福島から北は青森までという 現在の東北地方の半分以上を占める広大な地域は、 読んで字の如く本州の北の奥に位置します。 古くは奥州藤原氏、戦国期には独眼流政宗を出し、松尾芭蕉は「奥の細道」を記しました。 ある者には歴史のロマンを感じさせ、またある者には辺境の地をイメージさせます。明治維新のとき、この奥州の地は五カ国に分割されますが、そのうちの陸奥(青森~岩手北部)・ 陸中(岩手県の大部分と秋田の一部)・陸前(岩手南部~宮城)の三国を称して三陸と呼びました。
有名な三陸海岸とは、南は宮城県牡鹿半島から、岩手県を通り、青森県八戸市の鮫崎に至る太平洋に面した海岸線のことで、 水産資源に恵まれ、またリアス式海岸や海岸段丘が発達し、多くの景勝地を持ちます。